秒速五センチメートルの心理分析

東京はまた大雪で
JR線など多くの列車が
遅延及び運行中止になりました。

その時に思い出すのは
新開誠監督の
「秒速5センチメートル」

今日は「君の名は」に続いて、
新海誠監督作品の
「秒速5センチメートル」を
少し心理分析してみたいと思います。

秒速5センチメートル

このタイトルに含まれる意味を聞いて
はっと心を掴まれました。
これは、桜の花びらが
落下するスピードのこと。

秒速5メートルではなく、
5センチメートルというところが
いかにも風情で、とても情緒的。

新海誠監督作品に見られる特徴は、
女性の心理をぐっと掴むような
非常に、情緒的で美しい風景や
言葉の描写がとても多いこと。

もちろん、女性のみならず、
男女、性を超えた様々な美しさや
文学的な情緒表現を感じる人には、
とても心豊かになる作品といえます。

日本のアニメーションの中で、
まさに、彼が映像文学と呼ばれる所以は
そういうところにあるのかもしれません。

どこか、クラシカルで
古き良き時代の
そして、すぐそこにありそうな
身近な風景をまさに、
文学や美しい映像に変えていく。
まず、その描写に心掴まれます。

東京

舞台は、東京。

すぐそこにあるような
小さな町の坂道で
男の子と女の子が
桜の花びらが落ちていく
風景を見ながら
この秒速5センチメートルの事を
語るところから始まります。

転校生だった2人が、
学校の中で浮いてしまう、、、
という孤独感から、
お互いに惹かれ合うのは、
見ていても、
なんとなくせつなくて、
そして、優しく純粋だった
初恋の頃を思い出させてくれます。

イノセントという言葉が、
まさにぴったりなのが
この「秒速5センチメートル」という
作品なのです。

やがて、
女の子が栃木県に引っ越し、
男の子は数年を経て、
女の子のもとに
会いに行く約束をします。

私も栃木県に行った時に
よく乗った
りょうもう号に乗って。

大人にしてみれば、
少し遠い郊外に行くという感覚、
この距離が
13歳の子どもにとっては
とてもとても長い
大冒険のように感じられ、

途中、
雪が降ったり、
乗り換えがあったり、

寒い中で、
少年の不安や、
苛立ち、悲しみ、
絶望といった心情が
私達のところに強く伝わってきます。

新開誠監督作品の特徴

新海誠監督作品の特徴としては、
主人公達が何をしたというところが
ゴールなのではなくて、
そこにいくまでに
どんな気持ちになったか
という事がよく描かれています。

内的世界観が描かれ、
その微妙で繊細な心のゆれ動きが
手に取るように感じられるので
見ている方がまさに子どもの頃の
自分と照らし合わせたり、
自分の中にあるインナーチャイルドを
突き動かされたりしながら、
物語は、ゆっくりゆっくりとした
スピードで進んでいきます。

子どもの頃、、、

お腹が空き、寒さに震えながら、
それで涙を流してしまう少年を見て、

「あー、子どもの頃ってこうだったよな」

ちょっとした事がとても一大事で
大事になったような気がしました。

クラスで友達ができないこと

新しい環境に馴染めないこと

本当は周りの誰も気にしていないのに
自分だけが浮いているような
気がしてしまったり

世の中から一人取り残されている
ような感じがすること

そういった孤独感は
私達が、子どもの頃
誰もが持っているものです。

特に少年が栃木に行く途中の
乗り換えの駅でお腹を空かし、
北風にあおれながら
悲しくて涙を流すシーンがあります。

大人だったらそこで、
300円を手にして
そこの立ち食いそばで
お腹を満たして少し温めれば
涙なんか出ないのにな
と慰めてあげたくなります。

そう、これは私達が大人が
絶望しないために、
悲しい気持ちにならないために
得ていた大人の知恵というもの
なのですね。

むき出しの子どもの
純粋な気持ちは、
その孤独感に背中を押されるように、
駅の待合室で待っていた少女と
強い心の結びつきを
感じることができます。

この少女のために、
人生を生きていこうと
この少年が思っても
致し方のないことです。

だけれども、
いつしかそれは
日常に豊かな時間が
またやってきて
新しい環境に慣れていく事によって
少しづつ薄れていく

寂しさからの逃避の愛情だと
先に気づいたのは少女の方。

そして、この物語で
最後まで気づけなかったのは
男性の方でした。

2部、3部と男性は、
その女性のイメージを
引きずりながら
結局、新しい恋愛に
向かっていく事ができなかったのは
私にとっては残念なことでした。

だけれども、それはそれで
単純に大人になれなかった
子どもの物語と言い切る事はできません。

私達は、みんな強烈な愛しい経験を持ち
その愛によって、縛られる
という事がよくあるのです。

そしてそれは、決して
悪いことだけでなく自分の中の
新たな仕事を頑張るという
モチベーションになったり
いつかしっかりした自分になって
また、好きな人に会いに行こうという
気持ちにも繋がっていたりするのです。

だけど、結局、
頑張りすぎた少年は、
心を壊し、仕事に疲れ。
そして、少女の面影を
また求めながら
街を彷徨い歩きます。

美しい踏切の向こうで
また少女と再開をすることが
できたような気がします。

だけれども、
そこにはもう少女の姿ではなく
大人になり、他の人の伴侶となった
女性の姿しかいません。

そう、少年が恋をしていたのは、
あの時、あの寂しかった。
苦しかった時に出会った
駅での優しい少女。

私達は、心の中に
そういった思い出を持つことが
幸せなのか不幸せなのか
を感じさせてくれる
非常に意味深い作品でした。

メンタルトレーナー的観点

メンタルトレーナー的な
観点からいえば
さっさと人生の棚卸しをして
きちんと自分自身を
カウンセリングによって整理をして、
そして、自分のセカンドステージへ
飛びだっていって頂きたい
という想いにもなりました。

だけれども、そういう想いを
抱えている事こそが、
まさに、素敵な自分の中の
情緒的な風景なのかもしれません。