あの時は私たちにいろんな形で影響を与えました。悲しみもそれを癒す力も。
「私は阪神淡路大震災の被災者です」
私の自己紹介の一部となったこの言葉。あの時があったから今の私がいる。先日もSNSカウンセリング協議会の発表にてそうお伝えしました。
災害支援の心のケアをみなさまにお伝えする時、私は自分の決意を込めてこの言葉を使います。今ではもう、特別なことではなく、それは私の日常となりました。
私の災害支援への全ての原点はあの時から。壊れた線路の横を歩いて大阪から2時間、リスニングボランティアを立ち上げて仮設住宅がなくなるまでカウンセラーチームで地域をまわり、崩れ落ちたアーケードの横を救援物資のカートを引いて歩いた。近代的なマンションがオモチャみたいに潰れている。火事のあった地域の鉄骨の焼けたツンとした匂いが忘れられない。
現地に入ると、五感が揺さぶられて、心が波打って、泣きたいのに涙が出なくて苦しかった。苦しさの中で自然災害の残酷さを知り、だからこそ人間はここからは力を合わせて助け合って行かなきゃ!と、単純にそう思った。
残されたものたちにはそれぞれ、きっと何かやれることがあるはずだ。
私にとってはそれが心のケアだっただけのこと。
間違いなくあの時があるから、その後の今の人生がある。
去年はLINEさんやトランスコスモスさんのおかげで全国ではじめて、大阪北部地震や西日本豪雨でSNSカウンセラーによるLINEの心のケアが実施できた。どこにいてもカウンセラーが被災者の方と繋がれる。避難所にいてもどこにいても苦しさが吐き出せる、生きる力にもなる。もっともっと伝えて浸透させていきたい。
災害の苦しさで心まで壊れてしまわないように。
1月17日大阪にてそっと黙祷を捧げる。
見ていてください、残された私たちは、懸命に一人一人ができることを考えて懸命に生きています。残されたみなさまのご家族がストレスでこれ以上苦しむことがないように頑張ります、これからも。
私たちが生きている限り、あの時のことを決して忘れることなく。
私と同じ気持ちでいてくださる方もきっとたくさんいるはずです。
少しでもいい社会になれるよう。
遠くから見守っていてください。
決して忘れたりはしません。
だから、どうか、安らかに。