震災で命を奪われた人と、今生き残って日々人生を過ごしている私たち、何が違うのだろう?

1995年に阪神淡路大震災が起こるまで、この国は長い間酷い災害を意識していなかった。

駆け出しの心理カウンセラーだった私は、地元関西で被災し、そのあとリスニングボランティア200名を率いて仮設住宅がなくなるまで被災地に通った。言葉にし尽くせないくらい悲しみや喪失感の話を聞いた。

それは私のその後のカウンセラー活動の原点となる大切な時間だった。

2011年3月11日、今度は東京で被災した私は、東北に毎週、車を走らせた。

自然災害は残酷だ。だけどそのあとの人の対応が、更なる悲劇を生むことを前の経験で知っていたので、行かずにはいられなかった。

支援物資を大きな車に詰め込んで、ガソリンを持って(途中ガソリンが補給できない時期があった)寒い避難所で、配膳のお手伝いや廊下の拭き掃除しながら、避難所の方々のお話に耳を傾けた。

戸建ての泥かきをしながらその家の人のお話を聞く。体を動かし、なんでもやる活動は、やがて全心連の聴くプロの仲間たちにも伝播してくれたと思う。

悲しみ、いたたまれなさ、喪失感は、閉じこもり、孤独死、自死などにつながるから、雪の夜にも仮設住宅を回る。

今も被災地の高校にスクールカウンセラーとして通う全心連の仲間たち。自治体から委託され地元の人たちの電話相談を受け続けるカウンセラーたち。

人間に何ができるのか?心の専門家なんてものの無力さと大切さを繰り返し、感じずにはいられない9年間だった。
たくさんたくさんお話を聴いた。

震災で命を奪われた人と、今生き残って日々人生を過ごしている私たち、何が違うのだろう?
被災した人と自分たちの違いは、話を聞けば聞くほどわからなくなった。

そして、やがて、生き残った私たちには、何が役割があるのではないかと思うようになった。

それはボランティアとか、人の役に立つというということだけではなくて、美味しいものを食べたり、歌ったり笑ったり、生きていくことを楽しむというそういうことでも、生き残った私たちの役割なんだと、たくさんの話を聴いた果てに思うようになった。

生きたくても生きれなかった人たちの思いを継いで。

生きている間は、ちゃんと幸せになる努力をしたい、と、自分自身に言い聞かせるようになった。

もうこれ以上誰も犠牲にはならなくていい。時に自然災害は残酷で酷い仕打ちを私たちに突きつけるけど、それを優しく和らげるのは、人の力。

あの時、あの地震と津波のあった時、私たちは自分たちの無力を思い知らされた。

だけどその一方で多くの人が本当になんとかしたいと願っていた。

だから今でも助け合うというのは何も特別なことではないと感じる。

人間に残された優しい心は人間が心から誇れるものなんだ、と。
あの時は忘れない。
そして私たちは生きていく。

生きると決めて、生き続けるのが1番の供養なのだと思うのです。

どうぞ安らかにお眠りください。

何ができるかわかりませんが、残された私たちは、懸命に生きていきます。

愚かで無力で、すぐに優しさを忘れてしまいますが、それでも幸せを模索しながら生きていきます。

少しでもいい世の中を後世に残せるように、もう少しだけあがいてみます。