私もこの状況の石巻に車を走らせ、避難所を回っていたので、兄弟のお話に涙が出そうになりました。

石巻でお話しを聞いたおばあちゃん、子供たち、いろんな人の顔が浮かびました。

「わざわざ東京からありがとう。たくさんの人に助けてもらって本当にありがたい」言葉に尽くせないほどの悲しみの中でもなお、私たちを労える被災地の人たちに私が言葉を失いました。

絶望のどん底にいても、人間の優しさは尽きることなく湧いてくる。

そんな姿に今のコロナウィルスの対応をかさねずにはいられません。あの時を生かして今回も心のケア、頑張ります!!

 

東日本大震災から、4週間が経過したころのことでした(やっぱり、このことを振り返らずに今日を終われません)。私は石巻を中心にして活動していたのですが、いまだ道路は寸断していて、どこへ移動するのも道を探しながらで大変でした。その日は、抜け道を探しながら農道へと迷い込んでいました。仕方なくそのまま走らせていると、小学生低学年ほどの兄弟が、路端でこちらに向かって大きく手を振っていました。何事かとスピードを落とすと、兄が地面を何度も指差しています。その先をみると、なんと路面が大きく陥没していたのですね。窓を開けて「ありがとう」と言って、大きくハンドルをきって陥没を避けました。バックミラーには、注意を促すべく次の車を待つ兄弟の姿が映っていました。朝早くから、目頭を熱くさせられる経験でした。災害支援に入るたびに思うことですが、「支え合い」というソーシャル・キャピタルが細やかに動き出しています。多くの人々が支えあうために、何かできることはないかと探し、行動にうつしていました。あの少年たちもまた、誰かの役に立ちたいという気持ちに突き動かされ、路上で手を振り続けていたのでしょう。今回の新型コロナウイルスの騒動もまた、すでに反省すべき点が多々あります。検証して糧にしてゆきましょう。ただ、それぞれが出来ることを探し、小さな力を合わせていることは、短期的な結果がどのようであれ、きっと私たち社会を成長させていると信じています。

高山義浩さんの投稿 2020年3月11日水曜日