メンタルトレーナー・プロフェッショナル心理カウンセラー浮世満理子が、日本代表アニメにみる心のトーク

1.アニメって、そもそも“こころ”の何?

 子どもの頃、まず最初に作品として触れることが多いのが、アニメーション。特に、小学校に上がる前から、戦隊物や魔法のお話など、とにかくアニメに私たちは夢中になります。
小学校の高学年から中学校、そして高校と、思春期の盛んな時期に見たアニメというのは、ある意味、人間描写であり、自分自身の社会との関わりや、コミュニケーションパターンを投影することがあります。投影というものは、自分自身の心の内面性を映し出す鏡のようなもの。つまり、アニメの主人公や登場人物たちに、自分自身を重ね合わせ、自分の代わりに社会と戦ったり、あるいは、愛情表現をする主人公たちに夢中になって、自分を追いかけていく。それが正に、思春期アニメーションだと思います。
日本のアニメがクオリティが高く、世界に輸出することのできる日本の財産だということは、誰もが認めるところです。そういう私も、心理カウンセラーとして、アニメが描く世界観をとても興味深く、個人的にも探究するのが大好きな時です。
今回は、日本を代表するアニメ、『宇宙戦艦ヤマト』、『ガンダム』、『エヴァンゲリオン』と、3つの代表的アニメにみる、私たち若者の心の世界観とそこに何が映し出されているのかを、心理カウンセラーとして個人的に紐解いていきたいと思います。

アニメを含むエンターテイメントは、自己理解と他者理解

 エンターテイメントは、そもそも人間を描くものであるのがポイントです。場面としては、歴史物やSF,あるいは、戦隊物であったとしても、人間を描かれることで、自己理解を深め、他者とのコミュニケーションを学ぶのが、エンターテイメントであると思います。

エンターテイメントの自己理解

1.感情表現

 私たちは、本当は怒りたいのに、そこに気付かず、または適切に怒る手段や表現が見つからず、その感情を押し殺してしまうということがあります。本当は、悔しかった悲しかった。怒っているということを相手に伝えたかった。それでも伝わらないとき、目の前の登場人物が、代わりに叫んでくれ、怒ってくれ、時には、周囲を見回しながら何者かと戦っているとき、私たちは不思議とカタルシス(浄化)を感じることができます。
内蔵された怒りは、自己嫌悪につながり、自分自身の自己肯定感を低め、やがてはそれが無気力につながってしまいます。つまり、無気力で何もしたくないというのは、もしかしたら、自分の中の怒りが、適切に表現できていないのかもしれません。様々な戦闘のシーンが、決して良いとは思いませんが、戦隊物やアニメは、そこにあるのは、本物のリアルな戦争ではなく自分自身の内面との葛藤。そして、怒りの表現、もっというならば、ユング心理学のユングが提唱した「破壊と再生」。自分の中の憂さ憂さした思いを、怒りによって戦闘物の主人公たちの戦いに照らし合わせ、そしてそれを一気に浄化したい、という思いの表れなのかもしれません。

2.感情表現「悲しみ」

深い悲しみが私たちを覆うと、それは希望を失くし、時には絶望を感じてしまいます。そんな時に、主人公が叫び泣き、必死になってそこを表現する姿に、私たちは自分の中で気が付かないうちに、大きな悲しみを自分の中で、しっかりと向かい合っていくことができます。
戦闘シーンのアニメの中には、死や別れ、破壊など多くの私たちが普段では耐えられないような悲しみが、そこには潜んでいることが多いです。それをまるで、他人事のように感じれば、思春期の頃にそのアニメを見ると、ここで死んでいった人たちや、大きな別れが、どういう意味を持つのだろうかと考えるシーンも出てきます。
同じアニメを見ても、小学校の頃に見た印象と、また思春期の頃に見た印象。そして、大人になった時に見た印象では、色んな事象が変わって見えてきます。それでも自分が、惹かれてやまないアニメや自分自身が、何度も何度も繰り返し見てしまいたくなるアニメは、きっと、その人の中にある痛みや悲しみを代弁してくれるものであり、それを乗り越えて、前に進もうとする憧れの自分自身の姿を映し出すものに他ならないと思います。

3.感情表現「統合」

心理カウンセリングの中では、自分との対話を起こすと、そこには新たな気付きが生まれます。その気付きを乗り越えたところに、「統合」と呼ばれる、自分はありのままの自分でいいんだ。今の自分で良いんだ。と思える状態がやってきます。瞑想や宗教的な感覚では、それを「悟り」というのかもしれませんが、カウンセリングでも同じような自己受容の感覚に包まれることがあり、この統合感が心理カウンセリングをやっていて、一番心地良く、かつ生きている実感が湧いてくるところでもあります。
アニメのストーリーが進むにつれ、自己受容と癒し、そして、自分は自分でいいんだという、大きな安定感。自分の存在そのものを包んでくれる安心感。他の人とつながっていくという孤独感からの解放と強い絆。そういったものをが、私たちには統合感として表れてきます。
物語やストーリーの中には、そういったものがたくさん溢れてきます。それがともすれば、私たちがアニメをはじめとするエンターテイメントにみる非常に大切な“求め続けているもの”なのかもしれません。ハッピーエンドだからいいとか、最後が悲しい物語だから統合ができないというのではないのです。あくまで、深い人間洞察をし、それを見る人が同じように深い観点で捉えていただくときに、エンターテイメントという作品と、一人一人の個人の深い自己対話は一体となり、そこの中で、私たちは、統合感を感じることになるのです。

アニメから学ぶ人間関係、そして社会

 私たちは、幼稚園に入る前からすでに人間関係というものに悩んでいます。家庭内での兄弟姉妹での人間関係、あるいは、親との関係性。幼稚園以降の学生時代に過ごす社会というところでは、常に誰と仲良くて、誰と誰がケンカをして、時にはイジメにあってしまったり、自分自身もイライラする子がそばにいたり、色んな模様が私たちはアニメやエンターテイメントの中から、その人間関係を学ぶことができます。特に、近年のエンターテイメントやアニメの中では、登場人物たちが心の傷を抱えていたり、非常に孤独感を抱えていたりということが多いようで、それは私たちに、自分と同じだという風に思わせるものとなっていきます。
今回、ご紹介する『宇宙戦艦ヤマト』や『ガンダム』、『エヴァンゲリオン』にもたくさんの登場人物が出てきますが、それぞれとても個性的で特徴的。つまり、それぞれの人物が自分の中に存在しているともいえるわけです。
寂しさを抱えていて、傷ついている主人公。それを励ます明るい友だち。もっと言うならば、切なく胸がきゅんとするような恋する相手。それぞれの気持ちの描写が、自分の中の心の描写につながり、豊かな自分自身の内面性を育んでいきます。そして、そこの中から、人間関係を形成していく力になるのです。
アニメの登場人物たちが戦っているのは、一体何。それは、社会であり、これから少年少女が向かっていくであろう、大きな社会というよく分からない不安や恐怖に包まれた大人の世界であったりするのです。