末期がんで最期の時間をすごしておられる精神疾患の患者さまのその時間を「尊い時間」と呼ばれることに涙が出ました。

精神疾患であることは、時には自分も周りも生きる意味を見失う時があります。

なんのために生まれていたのか?なんのために生きているのか?を問い続けて疲れ果てる人たちがたくさんいます。先生のメッセージを聞いていると、命は平等でどんな人の時間も尊いことを思い出させてくれます。

本当に素晴らしいメッセージに心から敬意を込めてシェアさせていただきます。

金谷 潤子
12月5日 0:22
『施設が家族🏠』

精神疾患をお持ちで施設にお住まいの方。
入院して癌末期である事が分かりました。
住み慣れた施設へ帰りたい、
でも、施設は看取りをしない方針だったので戸惑いがある。
その施設へ出向き、スタッフの説得をしました。

死は誰にでも訪れること。
きちんと向かい合えば恐ろしいことではないこと。
時間をかけて話し合いました。

何度でも不安になる度にいつでも電話して下さい…とお伝えして、施設も看取りを視野に入れた癌末期の方の受け入れを了承して下さいました。

今日は看護師さんからこんなメールが届きました。

『いつも大変お世話になっております。
最近の〇〇様の状況をお伝えします。
日に日に体力が落ち、今週に入ると目に見えて弱っています。
食事は先週は味がはっきりしない、
今週に入ってからはお腹が空かないと、殆んど食べられなくなっています。
日中も傾眠傾向のため夜間の熟睡感はありませんが、疼痛はなく精神的には穏やかに過ごしています。
食事や入浴など車椅子を使用し、排泄はポータブルトイレですが室内での転倒もあります。
ご本人には「自分で出来ない事も増えてくるから、みんなに頼ってね」と話しています。
吸入は吸う力がなく殆んど吸えません。
内服薬も飲むのが大変とのことなので、次回訪問診療の際調整していただけると有り難いと思います。
麻薬が溜まっている感じはしません。
手を合わせたくなるような幸せそうなお顔をしています。』

施設スタッフさんと訪問看護さんが一丸となって、最期の時間を大切にして下さっています。
この方は初めは死ぬのが怖くて、常に不安を抱え落ち着きがありませんでした。
薬剤調整し、周りの寄り添いに安心してくるとどんどん見違えるように穏やかになりました。

施設スタッフさんに「大丈夫ですか?不安は無いですか?」とお声かけをしますと、とても良い眼差しで強く頷いて下さいました。
そこには、しっかりとひとりの方の大切な時間を支えることができている自信が溢れていました。

ご家族のいないこの方には、
施設のスタッフさんや訪問看護さんがかけがえのない大切な家族です。
たくさんの愛情に包まれて、尊い時間を過ごして居られます。