「おはよ、ピピ、今日も寒いよ」朝目覚めていつものように声をかける。

その後に「元気?いい子にしてる?」と言いながらつい水を取り替えようとしてやめる。冷たくなったピピは大好きなオモチャと一緒にわたしの言葉にいつものように返事することなくずっと眠っている。

嘘みたいに涙が溢れてきて、ボロボロ泣きながら朝の支度。忌引きがあるわけではないので今日もお仕事。もちろん、私や私の大好きな人に誇れる仕事をしているので仕事は全く嫌ではない。

でも、今日一日は、私、ちょっとしたきっかけで人前でも子どもみたいに泣くかもしれませんが驚かず、スルーしてください。泣かないと心の中で、寂しさが沈殿して今より苦しくなると思うので。人は安心できる場所でしか泣けないので、私が泣いたらあなたが安心できる場所なのだと少しばかり甘えさせてください。

この30年仕事で泣いたことは一度もありません。仕事が辛くても泣く必要はないからです。
自分が癌の宣告を受けたあと、抗がん治療中も一度も泣いたことがありません。やれることがまだたくさんあるからです。

小さな小鳥のための止まらない涙は、自分の苦しさのためでもなんでもなく、ただ大好きで、大好きで、寂しくて会いたくて、、大好きなだけなのだと分かっています。だからたくさん泣いて、きれいな気持ちだけが残るまでこの数日は私にとって喪の仕事。さあ盛大に泣くぞ!人には誰でも健全に悲しむ権利があるのです!

だから優しくスルーしてくださいね。

昨日の夜は少し眠れなくて魚戸おさむ先生のはっぴーえんどの6巻を読みました。最期の時に会うことだけが大切ではないというメッセージに救われます。

どれだけ尽くしても小さな後悔を人はしてしまうのです。もっと早く病院に行っていたら?あと30分早く帰ってきたら?と。だけどそれは悲しみをごまかすための自分のエゴだと気づきました。後悔は悲しみを歪めてしまう。自分や誰かを責めて、逝った者への悲しみの辛さを違う苦しみで紛らわせているだけです。 後悔なんか不要で、ただ、大好きだった!それだけでいいのだと気付きました。

海外出張中の夫は一緒に悲しみ「僕も会いたいなあ、でもきっと天国に行けるよ」と言ってくれました。たかが小鳥に馬鹿らしい!とも泣くなよ!とも言わずに一緒に悲しんでくれました。この人と家族でよかったと心から思う時でもありました。夫が送ってくれた子どもの頃のピピの写真。そして小鳥モチーフにしたバッチをつけて今日から数日喪の仕事。

仕事はちゃんとやります。もちろん。
優しい悲しみを越えた向こうにはきっといい心のケアができることをわたしの愛する人たちは知ってくれているからです。