〜私たちに出来ること〜生きづらさをやわらげ、許しあえる社会をつくる
若手人気俳優の自死関連の情報が続いていますが、そこでは「なぜ?」という理由、原因探しが続いているようです。
いろんな方面からお問い合わせも多いため、ここで若者の心のケアとして今は重要な位置づけとなった自殺防止SNS心のケア相談の中から感じる若者たちのメンタリティについてお伝えします。
「死にたい」
と、SNSの短いメッセージからそれは始まります。
悩んでいるとか、つらいというメッセージではなく、最初の1行がこのメッセージ。
匿名なので本音を言いやすいSNS相談は、カウンセリングのハードルを限りなく下げ、虐待、DV、希死念慮などの深刻な相談ほど、効果があると感じています。
だけど若者たちの
「死にたい」
を探っていくと、ある疑問にたどり着きます。
「なぜ死にたいのか?」
という理由が見えてこない。
つまり本人たちにとっても「しんどい」「疲れた」という言葉はあっても、こんな悩みでこれが嫌だから、、
というようなことにはならないのです。
もちろん本人は、もう疲れ果てて出口が見えない状況で苦しんでいるけど、それが一つ一つの状況とは直結しないのだと思います。
つまり死にたいくらい辛い状況があるという自覚がなく
「ただ生きづらい」
「しんどい」
と感じているのです。
時々仕事がブラックすぎて自死を選ぶ人に対して
「そんなに嫌ならやめればいいのに」
という人がいますが、疲れて追い詰められた精神状態で、そうした客観的なことは判断のしようがない。
彼らの話を聞いていると
「責任があるから仕事は休めない」
だけどふっと、目の前の道路に一歩踏み出せば、明日は仕事が休める、という思いで行動してしまった、と言います。
休めたいと言えれば、それでよかったのかもしれません。
でも責任ある人ほど、そういう行動につながるのかもしれません。
だから、大きな悩みや直接的な原因だけを探しても、きっと見つからないことも多いということを私たちは知っておく必要があるのかもしれません。
私たちは自死という大きな決断を、何かきっと大きな理由があると思いがちです。
疲れたというくらいでは、死なないだろうと。
だけど若者たちの間では、その壁はもっと脆くなってるのかもしれないと感じています。
彼らがよく口にする
「生きづらい」
生きられないではなく、
「生きづらい」、
SNSでの攻撃的なやりとりに晒されるだけで、そう感じてしまうのかもしれません。
だからもっと身近にSOSを出せる仕組みを、
社会のサポート体制をつくる必要があるのだと感じます。
SNS相談をもっともっと多くの人に利用してもらう仕組みを整備する必要があるのかもしれません。
今週も厚生労働省の自殺防止のSNS相談が行われます。
若者の中にネガティブな連鎖が起きないように、しっかりと私も現場のカウンセラーのスーパービジョンに努めたいと感じています。
