昨日は、対面の心理カウンセリング4件!
5歳の子どもさんと、50代の母さんと、20代の女性、そして18歳の女性。

立場も性格も、そして直面している悩みは全て違います。
>

直面している悩みは子どもとの関係性だったり、仕事だったり、日本での新しい生活だったりするのですが、共通しているキーワードはみんな「ここ日本(ウクライナ以外でという意味)で生きている意味が見出せない」

何をやっていても、どこか、つねに、苦しい。
罪悪感に苛まれる。
失った家や家族との絆、壮絶な喪失感。
聴いている方も言葉を失う。
直接的な悩みにしてもそう。

問題解決につながる思考や感情のマネジメントを伝えても、簡単な言葉だけではもちろん解決などしない。
戦争下の当事者たちに私たち部外者がかける安っぽい癒しなど本当に話にならない。

、、、と、いうことを分かった上で、あえてあえて、彼女たちの心理カウンセリングを担当させていただく。
2011年春、東日本大震災の被災地に毎週片道8時間かけて向かってずっと通っていた時のことを思い出す。

進んでも進んでも一面ガレキの山。
壮絶に津波で破壊された街の中で、避難所を周り食事の配膳を手伝い、津波後の家の泥かきをしながら話を聴いていた日々。

家族も、街も、家も、みんな流されて、その中で生き残った命が、心が、静かに悲鳴をあげていた。
「地元の人には話せない。みんなきっとしんどいから。外の人には話せる。少し気が楽になる」
私ができたことなんて、膨大な湖を埋めるための、ほんの掌ひと握りの砂、程度のことでしかない。

だから、壮絶なPTSDのケアに向かう時、
日々、押し寄せる無力感をどれだけ背負い切れるか?が勝負。
心のケアにはタフさが必要。

「私には何もできない、役に立つなんか立たない」と無力感に押しつぶされたら、そこで支援もケアも止まるから。
壮絶な惨事ストレス。
解決などできない。だけど手放さず、寄り添い続けたい。

寄り添えてなくても続けたい!
「できるか、できないか」ではなく
「やるか、やらないか」それしかない。

なぜならば、それが私たちなりのやり方の、ウクライナの戦争への憤りであり、反戦運動であり、ウクライナの支援だと思うからです。
(私は聖母のように優しいからケアや支援をしているのではなく、この戦争にとても怒っているのですよ。だから全力で日本に避難してきている人をサポートしたいのです)

ウクライナからきた心優しき隣人たち。異国の地でなんとか少しでも心穏やかに過ごしてほしい。少しでも、僅かでも。
「また来週もきてね!」と最後はぎゅーっとハグする。あなたの心の痛みをこのまま吸い取り紙のように吸えたらいいのにと思いながらハグしてる。

彼女たちの課題に解決などない。
だけど、心からあなたを尊敬している。あなたが今ここにいてくれて嬉しい。あなたが元気で健康でいることは、日本やウクライナのためになっている。と、誰かが伝え続けなければと思う。

それが少しでも痛みを和らげることにつながるならば、ほんのわずか、ほんのひと握りの砂だって、それなりに意味はあるのだと思う。
通訳してくれているイリーナさん。

カウンセリングが終わって彼女のメンタルも気になる。彼女のケアも必要かと声をかけたら「私は大丈夫!とても勉強になります」と。彼女もまたこの日本で住みながら、私と同じようにウクライナの戦争に怒りを持ち、やるしかない!と支援にまわってくれています。

そしてやはり、タフな仲間、同志、親友。彼女がいないと私などは全くの役立たず。彼女がいてくれるから実現しています。

本当に多くの人に支えていただきながら、私の日々の支援はなんとか続けられているのです。心から感謝です。

⬇️真っ黒のクレヨンで爆弾の絵しか描けなかった5歳の女の子が、ようやく色を使った絵を描き始めてくれました。(毎週来られて5回目)昨日は「帰りたくなーい」と駄々をこねるくらい、今はウクライナ心のケア交流センターが大好き❤