3月11日。
忘れられない日。
今のウクライナの心のケアと、今でも続く東日本大震災の心のケアは、全く違うように見えて所々が重なることもたくさんあります。

安全が崩壊する恐怖とPTSD,
悪夢とフラッシュバック
そして、大切な人を助けられなかったという罪悪感。
愛する人を失う痛みは時間の経過とともに、和らぐこともあるけれど、時を経ても和らがない痛みは、罪悪感に基づくもの。

「子どもを助けられなかった」
「どうして津波の時に妻の手を離したか?」
誰も悪くないことなのに、後悔と罪悪感が当事者の人を苦しめているのをご遺族の皆様のカウンセリングで何度も聴きました。

ウクライナの避難民の人たち。
命からがら日本にたどり着いて、それでもなお、戦地で戦う友たちに何とも言えない罪悪感を持つ。

命を守る行動は誰にも責められないのに、苦しんでいる人たちがいる。
誰も悪くないのに、残酷で悲しいことは、何の理由もなく突然私たちに降り注ぐ。

私も28年前の阪神淡路大震災から「生き残っていた」罪悪感を抱えて、それを災害、テロなどの支援をする力に変えてきた。
だからこそ、せっかく生き残ったか弱い私たちは、せめて心を温め合って生きていこう。

傷つけたり、罵声を浴びせながら生きていくのではなくて、手を取り合って、自分の心の中にある一番美しい気持ちに焦点を当ててお互いを思いやって生きていきたいのです。
多くのものを奪われた痛みから、必ず生まれるものがある。

そう信じないと、天に見送った多くの人たちに申し訳ない。
生き残った私たちには、何かしらのやるべきことがあると、今の私はそう思っている。

それは、幸せに生きることや、長生きすること、何か人や社会の役に立つこと。
そして、何よりも、生き続けること。
天の友へ。

まだまだそちらに行くまでにもう少し時間をください。やりたいことややるべきことがたくさん残っています。あなたの分まで長生きします。あなたが食べたかった美味しいご飯もちゃんと食べます。

あなたの分まで幸せに生きていきます。
天寿がやってきて、私がそっちに行った時は、
「なんやバタバタしとったけど大したことないなぁ」と。<Br

そんなちっちゃい私を、笑って迎えてくださいね。
まだもう少し!頑張りますよ!