鬼滅の刃のオーケストラコンサート、とてもとても素敵でした。
もう、オープニングの「鬼殺隊」のテーマのところからググッと来るものがありました。日本のテイストが入ったマイナーメロディそのままに鬼滅の刃の世界観が伝わってきて胸にくるものがありました(このストイックな鬼殺隊の世界観!カッコいいし、泣けるー!)
その後もアニメのストーリーをなぞるように名場面の画像と相まって、響く重厚で壮大な音楽。完全にその世界に入り込むと、いろんな思いがぐるぐると込み上げてきます(スピンオフ的なストーリーもファン密かに大喜びのはず、、)
そしてクライマックスは、神回と言われる那田蜘蛛山でのラストシーンの再現。
♪失っても失っても生きていくしかない。どんなに打ちのめされても守るものがある♪
空間に響くオーケストラの音楽、美しい女性の声が響きました。中川奈美さんが歌う【竈門炭治郎の歌】です。
このシーン、本当に素晴らしいんですよね。
鬼の首が飛ぶから残酷で子どもには見親が見せたくない、という一部の意見がありますが、私は鬼の首が飛ぶというのは「比喩表現」で、どこを切られても死なない鬼たちが日輪刀で首を切られることで、やっと人間に戻るのだと読み解いています。
だから首を切られた後の鬼には過去の出来事が悲しく優しい思い出として蘇り、炭治郎はその鬼たちを心から憐れみながらも癒しの心を向けるのだと思います。
鬼たちは、まるで心の行き場を失って人や自分を傷つけ続ける思春期の子どもにも似ていて。炭治郎や鬼殺隊はなんとかそれを変えようと救おうとしている親や教師たちにも見えなくはないのです。人の中に潜む鬼をなんとか消してもとの人の心を思い出してくれるように。
心理学でいう破壊と再生。
炭治郎は家族に愛された主人公ではありますが、そこには炭治郎だけでなくて全ての家庭が、こうして貧しくても支え合い笑って過ごしていく理想として描かれている気がします。
そして、それを失った時に、私たちは本当の意味で自立に向かいます。
非力で未熟でも自分の力で大切なものを守り、理不尽な殺戮から世の中を守るために命をかけるストーリーが始まるのです。
だから、♪苦しくても苦しくても前に進むしかない。失っても失っても生きていくしかない♪
という壮絶な歌詞が深く心に響きます。
そしてそれを包み込むような優しいメロディと何よりも透明感のある癒しの声が、苦しみと絶望の向こうにある、家族との絆や信じることの強さを表現してくれているのだと思いました。
鬼滅の刃は、その世界観やストーリーだけでなく、音楽セラピーにもなる。この声、この音楽があってはじめて一つの完成形になる、そんなことを改めて感じた今日のコンサートでした。
すごく元気をもらったし、癒された!
明日からまた頑張れるぞ!
中川奈美さん本当に素晴らしい時間をありがとうございました❣️
そして何よりご縁をいただいた一龍斎春水先生に心から感謝です❣️