アイディアヒューマンサポートサービスの21歳の誕生日に沢山のメッセージありがとうございました😊
21年前と少し前、父親の10年の介護の末に父を見送った私は、次に自分が向こう側に行くまで「どんなことをして生きていきたいのか?」自問自答していました。

カウンセラーになりたいという夢は叶った、仲間たちにも恵まれている、だけど心理カウンセリングという素晴らしいこの手法はまだ日本ではメジャーとは言いがたく特別なイメージ。私がアメリカで感じていた「身近に、お茶を飲みに行く感覚で」というのは程遠い。なので、これに残りの人生使いたいと思いました。

心理カウンセリングを日本の文化にしたいと気持ちだけは大きく掲げ、経営ど素人の私が、自分の教え子のカウンセラー2名とスタートしたのがアイディアヒューマンサポートサービス。世界の人が子どもでも発音できるように簡単な名前にしたい、人(I)が好き(dear)という造語が由来。

21年いろんなことがありました。本当に。10年で約9割の企業が潰れると言われる中でよく生き延びてきた☺️
大阪と渋谷のワンルームマンションからスタートして、少しづつ大きな場所へ。365日活動しました(現在も継続中😊)

オリンピックやワールドカップ、世界中にお仕事で行きました。テレビ番組にもたくさん出させて頂いたり本の出版、ココロゴトカフェも作ってみた(今はココロゴトサロンとしてたくさんの人たちが来てくれます)

心理カウンセラー唯一の業界団体、全国心理業連合会の二代目の代表理事に選んでいただいてからは、全力で省庁、行政のお仕事もさせて頂きました。
毎日がやったことのないことばかりを、とにかくチャレンジで。

成功が失敗かよりも、チャレンジする勇気とワクワクを失ってしまったらそこで立ち止まってしまうので、ひたすら前に進んできました。アイディアの1年はそれまでの3年分くらいの濃さで過ぎていきました。

阪神淡路島大震災の被災者である私にとって震災のケアはライフワーク。東日本震災の心のケアをさせていただいたり、その東北で肝臓で倒れたりもありました。

乳がんになった年にSNSカウンセリングが始まりました。もともと身体が弱い私はいつも病気と隣り合わせで。だけどアイディアのスタッフ達がいつも支えてくれました。チームだからこそ私は仕事を続けられました。

まだ日本に定着していない心理のお仕事に理解を下さった多くの人たちに育てて頂いき未熟なリーダーの私は今ここにあります。
未熟な私が、経営者になった時に決めたこと。それは「アイディアが潰れる時には私が死ぬ時」という覚悟を決めたこと。長い時間の中ではしんどい時や大変な時はあります。つい弱気になることも。だけど覚悟を決めればそれはそれでなんとか知恵と工夫が湧き出るものです。

そして何より自分たちがやりたいことだけでなく、人が必要としていることをやり、必要とされる存在になること。当たり前なんだけど、カウンセラーの人たちって以外とそうでない人たちも多いんですよね。

忙しいのは嫌だーと言う人もいますが、忙しいと言うのは世の中から必要とされていること。忙しさやチャレンジを楽しむ事を心がけていると、毎日がワクワクする仕事や活動で溢れてきます。
気がつけば私もあと少しで60歳!

これからの20年が間違いなく、お仕事の集大成となるので、しっかり悔いなく全力で生きれるように1日1日を大切に生きていきます。

↓22年目になった今日、朝から元サッカー選手石川直樹さん(アイディアメンタルトレーナー)と非常事態宣言中のストレッチandメンタルトレーニング、そしてその後アニマルセラピープログラムと、今日も最高に楽しいカウンセリング活動がぎっしりです。