奇跡のような東京の KAZKAの交流会とコンサートを終えて、私たちは広島へ。そして大阪から京都へ。

ウクライナに核の脅威が迫る中、広島の資料館で KAZKAたちは涙し、沈痛な面持ちで祖国ウクライナの現場と照らし合わせていました。

私は叔父2人を太平洋戦争で亡くしていますし岡山の母の実家近くには被曝した女性も住んでいた話を聞きましたが、まさかそれが「今」この時代に起こるとは本当に言葉を失います。

KAZKAのディマに「これは被曝後の広島。熱風で全てが焼けた街」と伝えると「キーウの自分の家もミサイルで焼けた。こんな風景が今のウクライナだよ」と。サーシャはハルキウの家がロシア軍によって強奪の被害に遭い、マネージャーさんは京都で稲荷神社の御守りを渡すと「新しい家ができたら飾る」と話す。

皆優しくて、笑顔で私たちにありがとう、という。

その心の奥にある壮絶な痛みとトラウマ。その中で出来うることを探して、世界中の人たちにウクライナの痛みを、そして平和への希望を伝え続ける彼女たちには本当にリスペクトしかない。

資料に描いてある、とても大切な言葉。
ノーモア ヒロシマ
それを指差してディマがうなずく。

アメリカが最初に核を落としたからロシアもいいとプーチンが言ってるとか、戦略的にはレイプも強奪もアリとか。日本人でもそんなことをまるで冷静に論理的なつもりで?言う人たちもいて、そんな人の言葉こそが、平和ボケだと本当に感じる。

ロシアがウクライナにおとそうとしているのは、規模の小さい戦略核?ヒロシマの60倍の破壊力でも、影響が限定的?
そんな冷静な指標や日本に溢れるニュースには、あの地獄が再び人類に起こることの痛みが感じられなくて悲しくなる。

灼熱に焼かれるのが自分の身体だとしたら?一瞬で黒焦げになるのが自分の家族だとしたら?
それが、ウクライナの今なのです。

ずっとウクライナの人と一緒にいる私ですらウクライナの痛みなんか爪先ほどもわかってないと心からの反省する。
KAZKAの歌に秘められた、痛みと祖国への想い。

KAZKAとともに、さらに本格的なウクライナへの支援へ。

ウクライナでは、戦争で親を亡くしたたくさんの戦争孤児たちが、冬場の寒さを越えられない不安と恐怖に震えています。 KAZKAがその孤児院に私たちが届けた暖かい衣服などを運んでくれる、そんなプロジェクトを計画しています。

やれることを全力でやろう。
平和ボケをちゃんと消し去って、自分たちにもやれることがある、そんな自分たちを取り戻そう。

目を逸らして、目の前のデジタル逃避してる間に人生はあっという間に終わってしまうと感じています。