あの日の明け方、今までに体験したことない突き上げるような地震で目を覚ましました。

そこからすぐに水道が止まって、電話も通じなくなって、テレビでは嘘みたいな火災の風景を目の当たりにして、、。

その後200名のリスニングボランティアを連れて電車の線路が途中からなくなってしまったので、往復3時間歩いて被災地に入りました。
避難所を回ってお話を聞いて、次の避難所に行って、、。仮設住宅が終わるまで回り続けました。

あの冬は寒かった。
2011年、東日本大震災があった冬も寒かった。
そして、、、今年もとても寒い。

阪神淡路震災では、たくさんの犠牲を払って、いろんなことを私たちは学んだはずなのに、いつも新しい地域で震災が起きるたびに、そのノウハウや叡智が生かされていないことを感じるたびに、悲しくなる。

仕方ないではなく、心のケアで防げる悲しみはもっとたくさんあると思う。
災害で生き残った命。

私はあの時から自分をそう呼んでいます。
生き残ったものには何かしらの役割があると思ったのも29年前の震災が教えてくれたこと。その役割とは、、。

美味しいご飯を食べること。
豊かな時間を過ごすこと。
幸せに生きていくこと。
そして、ささやかでいいから、ほんの少しだけ誰かの役に立てること。

空の向こうで見えていますか?

あなたたちがやりたくてもできなかった、優しい時間を忘れずに、大切に繋いで、私は今も生きています。
私はあれから、少しだけ誰かの役に立てているでしょうか?

どうか能登で寒い思いをしている人たちが、必ず心身ともに回復してくれることを一緒に願ってください。
私も、まだまだ頑張りますから。
↓今日の渋谷の明け方。