悩みを抱えてSNSでつい「死にたい」と呟いた女性を誘い出し、殺害。身の毛もよだつようなサイコパス。
彼の心理状態やその人格についてこれから精神分析的な研究が進むことを心から願うと同時に、最近若い人と会話していると、この犯人に感じる違和感と同じ違和感を感じることがある。

それは「共感性のなさ」
口は丁寧で作り笑顔は上手。

だけどそれらは全て表層的に感じる。
だからなんとも言えない違和感が残る。

人の痛みや苦しさを本当に感じていないのではないかと思う。
例えばある日のこと。
私が「身体が痛い」と訴える。

しかし相手は「そんなこと言われても困る」という反応。

「すみませんが、すごくつらいので少しココをほぐしてもらえませんか?」とお願いすると、身体に触れようともせず「メニューにないので」とのこと。「時間なのでこれで終わります」と。

彼はマッサージ師さんでした。
なんか不思議な違和感でした。

上司から攻められても彼にしてみたら「自分は間違ってないですよね、何がいけないんですか?」と反論するのかもしれない。

身体の痛みやつらさは、人と共有できない感覚だと思う。
だから、想像力だけが、その人の痛みを推し量るものになる。

だけど、その想像力が欠如していたら、それは感じられないし、何が間違えているの?と思う。
うまくやっている、まちがっていない、最近そんな人が多い気がします。

間違ってないかもしれないけれど対人支援の仕事は向いてない。どれだけ技術があっても共感できなければ人の痛みは和らげられない。心理職も全く同じ。

ゾッとするのは座間の殺人犯は精神疾患でも障害でもないということ。
つまり至って普通な状態で、たくさんの人を殺し、未だに罪悪感すら抱いていない。

こんな急遽な自己中心的なことがあろうかと思う。

【憐憫の情】樹なつみさんという作家が描いたOZという近未来アニメにサイコパスのバイオロイドが登場し、快楽で人を殺す。その時に「お前には人として一番大事なものが欠けている。それは憐憫の情ってやつだ」と。それはそうだ。バイオロイドは人間ではない。

この犯人には憐憫の情は育たなかったのか?何かがあってなくなってしまったのか?人間に生まれたからと言って、生まれつき憐憫の情が備わっているわけではない。だけど、この犯人は特別過酷な環境でもなさそうだから疑問が残る。

何も感じない。人の苦しみも死に至る恐怖や痛みも感じることがない。

だからきっと死刑も怖くもないのだろう。

だけど死刑判決がでたら親族以外の人とは面会できないから、獄中結婚の相手を探すそうだ。理由は寂しいから。

水のない砂漠の中をひたすら彷徨っているような壮絶な孤独。そこから救われる事はないだろう。もう何も感じる事はないし、死ぬまで、憐憫の情はきっと感じる事はないのだろう。

人の痛みや苦しみを感じることを放棄したサイコパスは、命の意味を理解することなく無味乾燥な心の世界を彷徨う。

亡くなられた人たちの痛み苦しみ、無念さを思うと何一つ犯人に同情する事はできないし、命を持って償ってもなお足りないと思う。

だけど、この事件を単なるサイコパスのしわざと嫌悪感だけで忘れてしまってはいけない気がする。
しっかりと検証を重ねて、次世代の子育てや学校教育に活かしていかなければ、とんでもない時代がくる気がする。

最近、違和感を感じる若者、間違いなくふえていますから。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/74248