三浦春馬さんの悲劇からもうすぐ一週間。厚労省や自治体で担当しているSNS自殺対策の相談では、毎日それを「におわす」メッセージが入りドキッとします。

ファンの人や感受性豊かな年代では、敬愛する俳優と自分を同一化して、その悲劇を自分ごとにしてしまうことがあるからです。
緊急対応を意識する日々が続きます。

熱心なファンはもちろん、ファンではなくても、今回のことに衝撃を受けている人は多く、その悲劇を受け止めきれない人も多いと思います。
だからつい、原因探しが加速するようで、「実はこんなに悩んでいた」とか「家族に葛藤があった」などの噂もSNSで囁かれています。その噂がまた更なる苦しみを生む。きっと故人はもちろん、周囲の人にとってもいたたまれない悲劇です。

自死をされた方の周囲の方はものすごく傷ついています。家族はもちろん、友人、仕事仲間たち。親しい人であればあるほど「なんで自分は救えなかったのだろう」と強く自分を責め、「なんで相談してくれなかったのか」と裏切られたように苦しみのループから逃れられません。好きだったからこそ壮絶な悲しみ。

それでなくても大切な人を失った悲しみはすごいのに、そこにさらに、罪悪感、裏切られた絶望感が加わり大変な苦しみだと思います。

だから、私たちが気をつけることは、そうした方々に向かって「なんで助けられなかったの?」と責めたり、家族や職場が原因などとは決して言ってはいけないということです。それは彼にとって残された大切な存在をさらに苦しめるということを理解して、そっとハグするような気持ちで一緒に涙を流しましょう。

以前、お子さんが自死を選ばれたお葬式にご家族に頼まれて参列したことがあります。普通のお葬式もお別れの悲しさはありますが、それは全く違ってました。ご家族や友人たちがみな苦しそうに立ち尽くしており、こんな残酷なお葬式はないと胸が潰れそうになったのを覚えています。自死は多くの人を苦しめ一生消えないものを残された人に負わせます。

だからといって故人を責めるのもいたたまれませんよね。死に原因を見つけ、誰かを責める悲しみの連鎖はやめたい。

ただ、偲んで涙を流すだけにしよう。

表現の芸術の世界にいた素晴らしい方を私たちの世界は失いました。

そんな時は、輝いていた彼の作品をみんなでみて、ネットやサイトで語り合うことをお勧めします。

涙が溢れたほうがいい。
気持ちが昂ったら、わんわんみんなで声を上げて泣いたほうがいい。
泣かずにぐっと堪えていると自身のメンタルヘルスに支障がでます。

これを心理学では「喪の仕事」といいます。

吐き出してみんなで気持ちを共有する。
大好きだったから悲しいんだ、こんなに彼のこと好きだったんだ、と気づいて欲しい。

日本人はどうしても悲しみなどのネガテイブな感情を表現することを避ける傾向にあるけれど、押し殺さずに泣いたほうがいい。

これは、東日本大震災の遺族会でもいつも繰り返お伝えしてきた心のケアの方法です。
「子どもがいるので泣いてはいけないと思ってました。」と夫を亡くした女性が言いました。

「泣くのはそれだけその人をことを好きだった、という【好きの涙】ですよ。子どもと一緒に涙を流して、私たちはパパ大好きだよね!と抱き合えば、きっと心は少しだけ前に進めます」
と伝えました。

三浦春馬さんとのお別れで悲しいけど泣けない人、日本にたくさんいるのかもしれません。

だからこそ「泣いていいよ」と声をかけて一緒に話をしたり作品を見たりしてあげてください。

【悲しい涙でなく好きの涙だよね】と言葉を添えて。

きっと溜まった胸の苦しい気持ちを吐き出すことができるはずです。

そして、それでも故人と自己同一化が起こる方には、SNSで死について語れる厚生労働省の窓口をご案内してあげてください。ここの相談窓口はSNSカウンセリングの資格を持った全心連のプロフェッショナル心理カウンセラーたちも多く参加しています。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_sns.html?yclid=YSS.EAIaIQobChMIk9z-l9bf6gIV9cEWBR2pkAaaEAAYASADEgLmx_D_BwE&fbclid=IwAR3p5BGlQDDVlS7C0Xe_tVYtN7MzbDgTdDzzZglKoYfcesdOHUQgUM2OBNI

たくさん泣いて、たくさん好きだった!を実感して、そしてここで生きる私たちにはきっと何かの役目があると信じて、今日も生きていきましょう。それが私たちに今できることなのだと思います。