心理の学びって、自分の中に優越感を育てるためではなく、社会に縛られた概念から自由になるものだと思うのですよね。
だから、なんだかメンタリストのDaiGoさんってせっかく心理学を学んだっぽいのに、そこから自由になってなくて価値観がとても窮屈そうだなって思いました。

彼の手品とコールドリーディングを混合したメンタルをエンターテイメントにしている番組は見ていて楽しかったし、自己啓発本を要約して、YouTubeでわかりやすく若者たちに発信しているのは、今っぽくてそれもありなのかな?と思っていました。(私はちゃんと一冊づつ本を読んだほうが絶対に身になるとは思いますが、YouTube世代にそれを解いても難しいので、、)

だけど、心理学などと人間の本質に触れる学びをすることで時々自分は人よりも優れていて、なんでもわかっている気になる、という危ない現象は心理を学ぶすべての人に共通する落とし穴。

医療や教育など「先生」と呼ばれる職業の人たちの一部の人が他の人に対して尊大になったり、社長、高学歴、金持ちである人たちがそこである種の価値を見出そうとすればするほど、私たちは見えない社会的な枠組みに縛られて不自由になっていくような気がするのです。

心理カウンセリングって本来ならば、そういう枠組みから自由になれると言う素晴らしさがあるのです。
あるクライエントの人は、無職で仲間も作れなくて、将来に希望が見出せなくて自分なんていなくていいと言う。。死んだほうがいいんだって、、。
けれど、アートセラピーをしたり、箱庭に表現される、とても美しい感性を持つ彼女の繊細なところは本当に素晴らしいと思う。

社会的に見れば彼女は価値のない存在で、私は社会的に成功しているように見えるのかもしれないけれど、それは勘違いもいいところ。
彼女と私の間にはなんの隔たりもない。彼女は過去の私のようだし、もしかしたら将来の私の姿かもしれないし。

「いつか先生のように人の役に立てる仕事がしたい」と話してくれた彼女の目の表情はとても力強かった。

人の役に立つ活動をしたいと願う時、心の苦しさも、痛みも、無駄なものは何もない。病の経験ですら貴重な経験。

もちろん人の役に立つ仕事をつかなくても、人生の中でその経験が大きく、精神性を豊かにできるものにつながることもあるのだから。
今回の炎上騒ぎを受けて、メンタリストDaiGoさん自身も何かしらの経験値となってくれたらいいのにな、と思います。

若者たちに影響のあるインフルエンサーとしてのメッセージは、社会的地位や経済的なものに価値を置くのではなく、内面性やお互いに対する思いやりみたいなものが大切なのだと渾身の思いで伝えてくれたら、生きづらい今の時代でも少し優しい気持ちになれるのにな、、。

自分は不幸で相手は幸せそうだから電車の中で(弱者である女性を)刺してやりたいと言う事件も、無職だから生きていても仕方ないと思う悲しい気持ちも、みんな社会の中の不自由な価値観に、自分の価値を押しつぶされてしまっている。

コロナ禍で健康に当たり前の生活を送ることすら厳しい中で、今ほどお互いを思い合う心が必要とされている時代はないと思うのですが、残念ながら溢れてくるニュースは自分さえ良ければいいと思うようなものばかり。

命が誰かに必要かどうか、役立つかどうかは関係ありません。
コロナで生きたくても生きれない人たちがいる中で、今こそ生きていることの貴重さと命の大切さを、DaiGoさんはじめ影響力のある人たちは伝えて欲しいと、強く願っています。