大河ドラマや戦国時代劇に必ず登場し、日本で1番有名なお寺の一つ、本能寺。

織田信長が明智光秀に撃たれた場所として、名前は聞いたことがある人も多いはず。

日本史の京都ツアー、室町時代が終わり、安土桃山城跡を横目に見ながら、本能寺へ。実際にあったところからは移築されているとのことですが、いまでもとってもエネルギーあふれる印象の本能寺。織田家の家紋は私の好きな鳥さんモチーフというだけですでにテンション上がります。

織田信長公の鎧や森蘭丸の刀など、歴史めぐりというよりは、戦国時代の超有名の人たちの聖地巡礼のような感じでなんだかドキドキします。

織田信長は亡骸が見つからなかったので、あちこちにお墓があるといいますが、それでも本能寺のお墓に手を合わせると神妙な気持ちになります。

一緒に主君を守るために戦い殉死した家臣たちの名前がきざまれていましたが、時を超えて同じ苗字の人とか本当に誇らしいだろうなと感じてしまいました。

そこに名前があった有名人といえば森蘭丸。彼は絶世の美男子とも言われていますが、美しいかどうかはさておき、とても機転のきく頭のいいイメージがあります。だからこそ気難しいと言われていた織田信長のお小姓がつとまったのだと思います。今で言うとワンマンのパワハラ上司をうまく処するやりて秘書って感じですね。

そのやり手秘書は家族で上司につかえていました。

本能寺の変の時、森蘭丸18歳、坊丸、力丸と年子で1番下の弟は16歳。まだそんな子どもなのにみんな殉職って悲しすぎる💦

長男は早くに戦でなくなり13歳で森家の家督を継いでいた次男、長可(ながよし)もその後の戦で戦死して、残った男の子は六男の忠政の末っ子ひとり。

それはあまりにも残酷な戦国時代の悲劇なのですが、彼はその後、豊臣秀吉、そして徳川家康に仕え、やがては岡山の城主として森家を存続していくのだそうです。

調べてみたら以下の通りでした。
長男:森可隆(よしたか)
次男:森長可(ながよし)
三男:森蘭丸(成利)
四男:森坊丸(長隆)
五男:森力丸(長氏)
六男:森忠政
長女:碧松院(関成政室)
次女:娘(青木秀重室)
三女:うめ(木下勝俊室)

この時代には珍しくみんな同じ妻から生まれていて、側室たくさん異母兄弟で争い合う戦国時代においては、仲の良い家族だったのかもしれません。

気配りのできる、日本一有名で有能な秘書は、多くの兄弟姉妹たちとみんなで頑張る素敵な家族の三男坊だったのですね。

いつの時代も頑張る力をもらうのも家族、また憎しみあい殺しあうのも家族。

何が違うのか、どうすればどうなるのか?家族についてたくさん考えた本能寺でした☺️