今回私が1番感動したのが銀閣寺。

キラキラの金閣寺と比べると地味でわびさびの文化と言われても子どもの頃は全くピンときませんでしたが、銀閣寺を作った8代将軍足利義政公の物語を聞くと見え方が全く違ってきました。

鎌倉時代から武士の政権、まだこの頃は暗殺やら血生臭い感じで、父の6代将軍足利義教は殺され、跡を継いだ兄も早死。将軍になるはずのない自分が将軍を継いだ時は、周りの側近たちが権力争い、妻は日野富子、妻の実家もパワー全開で権力争いに介入。

自分がどれだけ努力してもうまくいかない。あちこちで家督争い勃発、一揆も起こり、大飢饉も起こる。きっと心折れちゃったのかなあ。そこで、よしまさくんは、現実逃避して政治をかえりみずにお遊びにばかり夢中になってしまった。

京都に難民が溢れ飢饉で八万人民が亡くなっても邸宅のために増税したとか、自分だけ毎日お酒飲んでいたとか書かれておりますが、なんかどうもいろいろ拗らせた挙句の燃え尽き症候群みたいな感じで憎みきれない。

そして京都の東山に慈照寺(じしょうじ)を作る、これを後世の人が銀閣寺と呼ぶわけですが、本人は息子にも先立たれ、銀閣寺の完成も見れずになくなっています。

銀閣寺のそばに建てられた小さな建物。ここには「観音開きの扉」と今の日本家屋にみる「引き戸の扉」の二つが一緒にあります。

この時代まで日本は観音開きの扉しかなく、引き戸や床の間など今の日本の伝統的なものができたのはこの時代。茶の湯が始まり、石庭が独自の文化となり、今日本が海外に誇れる文化の源となっているのはこの東山に建てられた銀閣寺ができた頃に、形作られていたのだと思うと心が震えました。

今目の前にあるのは当時建てられたもの。東山文化は日本の文化の源となっています(←テスト出るところ😊)

永井路子は、義政の先々代・足利義教の独裁とその末路を考慮して「周囲の人々は義政を『死なぬように、生きぬように』お飾りとして育てた。義政の人格と治世は、そうした歪んだ教育の結果だ」と評している(wikiより)

きっと自分の生きる意味を模索するのは、いつの時代もどんな立場の人も同じなのかもしれないな、と。

そして、権力や財力を極めたものだけが決して幸せではないのだと、美しくも儚さを感じる銀閣寺を見ていて思いました。
わびさびは日本文化と言われますが、静かに精神性を磨く独自の美しさという意味が込められているといいます。

同じようにコロナ禍の貧困や人々の絶望感が蔓延するいまの世の中。

先人たちが多くの犠牲を払って得たその精神性は、今こその私たちの社会に必要なもの、究極のメンタルヘルスなのかもしれません。