今、ウクライナでは、多くの人たちが家族を失う恐怖と悲しみに怯え、故郷をなくして難民になっている。その痛みを私は3.11の日に改めて感じています。

だからこそ、何かできないか?自分ごとにしていける優しさと強さを持ちたいと思います。
そうでもしないと大きな無力感に押しつぶされてしまいそうだからです。

私の原点は阪神淡路大震災の被災があって、そのあと現地でたくさんの人たちの話を聞いて、そこで人の命の重みを感じました。<Br.

生きると、死を分けるものは何?
道路のあっちとこっち、たまたま、住む場所。その時間、いたところ。

自分が生き残り、あんないい人が命を絶って、そんな違いなんか、ほんのたまたま、偶然、、
そんな話を避難所や仮設住宅で何百回も聞きました。

眠れなくなったり、急に涙が溢れたり、赤いおしっこが出る自分の身体が怖くて誰かに相談したいけど、そんなことしたら精神病院に閉じ込められて出てこれないから言わない、というおばあちゃんに「大丈夫だよ。まずは市の保健師師さんに相談しようか」と、話したりした。

ストレスなんてあって当たり前なのに、それを自分で責めている人が多いことが辛かった。阪神淡路の時の教訓が活かされていないことが悔しかった。

だけど、その悔しさや理不尽なことに対する怒りは今でも私を支えてくれていて、何もできない無力感に押しつぶされそうになった時に、私のポンコツな身体にみなぎるエネルギーになってくれる。

「なんだかんだ言ってもさ、私は阪神淡路の震災を生き残っちゃったんです。

亡くなった方に申し訳ないとって思うけど、生き残ったんですよね。だけどそれで終わりではなくて生きているから、その命の使い方ってあるじゃないですか。それが私にとっては被災地の人たちの心のケアに使えたらいいな、ってそんな理由で東北に来ています。

だから、私に話聞いてもらって申し訳ないとか思わないでくださいね。そしてどうか死にたいって言わないでくださいね。
生き残った【私たち】には生きたくても生きれなかった人の分まで幸せに生きていく、それをその人たちも望んでいるのだと思うのです」

綺麗事かもしれないし、理論破綻しているかもしれない。こんな考え方無駄とか、嫌いって人も居ると思う。
だけど、必死に。<B

ただ、そういうことしか言葉にできなくて、その言葉で泣き崩れる人が「やっと泣けた。苦しかった。しんどかった」
という背中に手を当てることしか出来なくて。
そうなんですよね。

そういうことくらいしか出来ないんです。私たちは。
だけどそういうことを馬鹿にせず、小さなことを一つ一つやっていくことが、残った私たちにとって心に生きる力を与えてくれるものなのです。

3月11日に多くの人が黙祷を捧げる。
それは、災害で亡くなった鎮魂の想いであると同時に、残った私たちがこれからも生き続けることを約束する日でもあったらいいなと思います。

そして私にとっては、生き残った私が、命を使ってどんなことをして過ごすのか?を自分自分に問いかける時間でもあると感じています。

全ての命に、敬意を表して、、。