なぜ、アニメで泣いているシーンは印象に残るの?

とあるボランティアグループでの話し

アニメで登場人物たちが泣いているシーンがなぜ印象に残るのか?
を考えてみました。

先日、ある会に行きました。

それは同じ悩みや問題を持った当事者同士が集まる
ボランティアの自助グループの会でした。

会によってまたメンバーによっても雰囲気は違うのでしょうけれど、
みなさん、とても前向きで困難な状況にも関わらず、
それを、ジョークにしたり女子トークにしたりポジティブな
言葉や笑い声が響き渡ります。

私も楽しく参加していました。

そこに新しく入ってきた1人の参加者。

とても苦しそうで、悩みとバランスをもって
向かい合えていないように見えました。

その方は、延々と自分の悲しみをはき出し、
迷い、結論の出ない話が延々と場を支配しました。
そのたびにまわりのメンバーが

「そんなことないわよ、大丈夫よ」
「そんな時はね〜、気晴らしに好きなことするのよ!」

という経験者のみんなの明るい笑顔に、
その方も少しずつ楽しげになっていきました。

でもこの薄い表面を覆う笑顔はきっとまた、
彼女が1人になった時、こわばる顔になりそうな、
そんな儚げな笑顔でした。

その時、私が感じたのは「泣きたい時もあるよね」ということ。

本当は彼女、自分でも意識してなかったけど
泣きにきたんじゃないかな?

主人公に代わりに泣いてもらうんです

周囲の誰にもわかってもらえない寂しさ、
解決できない問題への苛立ち、
分かっていても悩んでしまう自分への自己嫌悪

そんなものを全部ひっくるめてがーっと
泣いたら楽になることありますよね。

だけど、子供じゃないから、泣けないんです。

泣けないともっともっとしんどいんです。
心が詰まっているみたいで、苦しくて
出口のないドロドロした感情がいつまでたっても
なくなってくれずに、ぐるぐると渦巻いているんです。

そこで一言「辛かったよね、大変だったよね」

という言葉があったら、泣くきっかけになるじゃないですか。

ドラマや映画を見て泣くのも同じです。
頑張って一生懸命生きている大人はみんな泣き時があるんです。
だけど、泣けないから、ドラマや映画を見て、
主人公に代わりに泣いてもらうんです。

自分を映した「投影」の主人公が泣くことで、
泣けない自分の心が涙を流し、自分を許してあげられます。

君の名は。では、いくつもの印象的なシーンで
登場人物たちが涙を流します。

そしてそれらの多くは辛いから泣いているのではなく、
誰かを愛した涙だったり、言葉にもならないような
熱くて強い想いを形にする涙だったり、、、。

アニメや作品に癒やされるということ

「誰かを探している。誰かに会いたい。
   ここでない、何処かに、、何か大切なものがある」

私たちはそれを忘れているだけなのかもしれない。

君の名は。

という作品に込められた、登場人物たちが語ってくれる、
寂しさ、切なさ、やり切れなさ、、それらはすべて私たちの
心の中にある想い。

だからこそ、それを浄化したり満たされたりした時、
私たちは間違いなくその作品で「癒される」のですよね。