京都アニメーションの犯人が回復し、罪を認めてこれから起訴されるという。

改めて亡くなった皆様のご冥福をお祈りするとともに、ご家族、関係者の皆様の心の傷が少しでも和らぐことをこころから願います。

京都の亀岡人権センターの杜 真矢先生とご一緒に、全心連が行った6ヶ月間の「京都府民相談」は3月をもって一旦終了。

京都アニメーションの地元京都で、事件の衝撃はとても大きく、府民の皆様の心のケアのLINE相談ということで、京都府から補助をいただきながらも、全心連と亀岡人権センターで持ち出しのボランティアでなんとか半年間やりきれました。

最後の月はコロナの自粛期間と重なり、大規模なシンポジウムは中止となり簡単なご報告となりました。

だけど期間中は、SNSで京都の地元の皆様から、悲しみや苦しみなど、、本当にいろんなご相談が寄せられました。

人は一人で生きていない。

一人の命を奪うということは、家族や友人はもちろん、学校の同級生、部活の仲間、近所の人たち、いろんな人たちを悲しみのどん底に突き落とし、その理不尽に苦しみ続けるたくさんの人の一生に傷を負わせる。

犯人は他にやり方はなかったか?

社会に何かできることはなかったか?

どうしたら二度と悲劇は起こらないようにできるのだろうか?

悲しみに打ちひしがれるご相談を受けていていつも感じるのはそんな思い。

せめて人の痛みがわかるような、そんな環境に犯人がわずかでも身を置いていたら、こんなことにはならなかったのだと思えて仕方ない。

犯人にはしっかりと罪を償っていただきたい。

人気の漫画、鬼滅の刃で主人公の男の子が、たくさん人を殺した鬼の最期に同情しながらも、いつも伝える言葉がある。

「たくさんの人の殺した罪は決して許されるのもではない」と。そうだと思う。

失われた命は決して戻らない。

だけど「今度生まれ変わった時はこの人が鬼になんてなりませんように」「鬼は悲しくて虚しい生き物だ」とも。

自暴自棄の犯行の先には永遠に終わらない虚しさ、苦しさが続くのだ。

生まれ変わりを信じてはいない、無力な私は、今の世に二度と人を殺す鬼が現れませんように、と願いながら、心の活動をしているような気がしています。

改めて京都府民相談に関わってくださった関係者の皆様に、こころから感謝申し上げます。