「女は話長いよね」とか「ボランティア辞める人がいるならまた募集するだけ」とか。正論の一面もありますが、家庭内や執務室の中のコメントではないところが問題になりました。
残念なことに、ことはすでに女性蔑視の話からオリンピックにまで飛び火し、選考の透明性とか、さまざまな日本のリーダーたちのガバナンスにまで発展。
コロナ禍疲れによるストレスがピークに達する昨今、政治家の話だけでなく企業や団体のリーダーにも言えることは、【共感力】と【ガバナンス】が必要だと言うこと。

ガバナンスについては、まさに今の時代と言えるもので昭和の時代ではセーフだったものが令和ではアウト!
女性問題は一つにしかすぎず、従業員、ボランティアなど対象は多岐にわたり、パワハラダメ!不倫もダメ!自粛時は宴会ダメ!とリーダーは様々なガバナンスが求められるようになりました。
これらが国際的な活動の評価になると【日本の常識は世界の非常識】になるところもあり、令和時代にあったガバナンスの勉強をリーダーは求められます。

だけど、コロナ禍の中でガバナンス以上に大切なのは【リーダーの共感力】だと感じます。
【相手の気持ちを慮って】というもの。

どんな正論であっても、相手の気持ちをおもんばかる共感の言葉がないと、言葉は暴力的に聞こえます。
それが、コロナ禍でストレスが充満しまくって今にも破裂しそうな心には耐えられなくなるのだと思います。
平時ではなんともないことが、今の非常時ではたまらないくらい辛くなるのです。

言葉を発する時にこれをいうと傷つく人はいないかな?とか、嫌な思いはしないかな?と迷った時には、一言共感の言葉を添えれば随分と印象は変わります。
「皆さんの大変な気持ちはよくわかります」「私の表現方法で拙いところは教えてくれれば変えていきます」「その痛みをともに感じていきたい」「一緒に頑張りましょう!」
実際にそう言う言葉で国民の満足度を上げている海外のリーダーたちはその辺りの表現が実に上手です。

逆にうちの父のような戦後の壮絶な昭和を生き抜いてきた「雄々しい日本男子」には、どうもこの共感の言葉とか、相手をおもんばかるというのは、女々しくて面倒なことに感じるようで下手🥲
「悪いようにせんから黙ってついてこい」「気持ちでメシが食えるか!」みたいになるのですが、それが許されるのは家族や周囲が我慢してるからに他なりません。

「まあ、お父さん悪気ないから」「言葉はきついけど根はいい人やからね」「ああ見えてすごく立派なひとやねん」

妻や部下のフォローによってその雄々しいリーダーシップは成り立っていたのです。
ネット社会は言葉だけが一人歩きをする

社会とも言えます。そこには素晴らしい実績や根は優しくていい人、という背景をすっ飛ばして、言葉だけが世界を駆け巡ります。フォローしてくれる言葉もない。怖い社会です。
だからこそ、共感の言葉をしっかりと添える事で、言葉の分脈が変わってくるのです。

「ボランティアを辞退した人の心の痛みを感じると、とても自分も悲しいし悔しい。だけどその痛みを私も感じていくので一緒に頑張ってほしい!」と共感の言葉を使えば、「あなた」と「私」という2つの立場が分断される文脈ではなく「私たち」というワンチームになる文脈に変化します。

私は日本のリーダーたちは、優秀で勤勉な人が多いと信じています。
だけど、すでに時代は「俺についてこい」のリーダーから共感力のある「一緒に頑張ろうよ」というリーダーに移り変わっていることを知るだけで、さらにその能力を発揮することができると思うのです。変化を面倒だと思っていると淘汰されるのは企業もリーダーも同じです。

会社の経営者や世の中に影響を与えるリーダーの皆様が、個人的に心理的コミュニケーションを学びたいと私のところに来てくださいます。今のテーマは「コロナ禍だからこそ大切な共感の言葉」です。

リーダーたちが、周囲の人たちに優しい共感の言葉を伝えてワンチームができて、そして日本でみんなが笑顔になれるオリンピックの開催を私は心から期待しています。

↓梅には梅の桜には桜の美しさ。だけどみんな春を待つ想いは同じワンチーム。