私の周りには本当に尊敬できる医師や医療従事者の方があまりに多すぎて、それは、本当に本当にものすごく恵まれていると思うのです。
だから、今回の委託殺人での課題について素人的にわからないことが二つ。
医療の世界では当たり前なのかもしれませんが、この辺りの疑問を解決しないと今回のことも含めていろんな社会課題が前に進まない気がします。
疑問1🌸患者は主治医を変えたいので紹介状を書いてくださいと伝えたら「知らない人は紹介できない」と言われた🌸
患者が探してきた医師に変更をお願いしたら、紹介状を書けないのはともかくとしても、カルテを渡さないとかというケース、これってありなのでしょうか?
カルテってそもそも患者のものではなくて、医師同士のものなのでしょうか?
私は幸い、癌治療の時にセカンドオピニオンを自分で決めて転院しましたが、根掘り葉掘り聞かれました。
これって「転院先はいいたくありません。検査の結果だけください」というのはダメなんですよね?
自分の身体の資料?のはずなのに、こんなに気を使いながらコピーをくださいとお願いするのはなぜ??
疑問2🌸栄養を止めるようにお願いしたら断られた🌸
これもえっ?と思った。安楽死のための毒物を入れてください、ではなくて食べたくないので食べられないようにしてください(自分ではそれが不可能な場合)って、聞いてもらえないのでしょうか?
もちろん安楽死や尊厳死の場合の課題はたくさんあり、安易に認めてしまうと、障害者は社会的に不要と殺人するサイコパスの餌食になる患者も出てくるのでそれを防ぐ工夫は必要。
ましてや、どこかの小説家のようにサムライの腹切りの事例を出されても、そんな法律も命の価値も違った江戸時代の倫理観振りかざされても、、と思ってしまう。
だけど、多くの市民が感じているのは「自分の命は自分のものではないのか?」ということ。
それを決めるのが医療者ではないよね?ということ。
もちろん、難病でも痛みがなく将来の希望を持ち続けられる周囲のサポートはもちろん必要だとしても、まず大前提に、自分の命の終わり方は自分で決められますか?と言う議論なんだと思います。
今、私自身も、治療の副作用に苦しみ、本当にたくさんの人たちに助けられながらも、しんどい時には誰もこの痛みを取ってはくれないと気鬱になることもある。
だから、一人で抱え込まないし、我慢しないし、声を上げる。
病気になった私が悪いとは思わない。私の痛みはきっとどこかで同じように苦しんでいる人がいる痛みだと思うから。
だけど、人のせいにもしない。
自分でもできることを全部やろうと思うし、この苦しみがなくなるためならって、胸を張ってジタバタしてる。なによりも心が折れたらいかんので、なんとかなんとか心が折れないように自分に優しくしてあげるのだ!
乳がん仲間の女性たちとはなしていると、術後の痛み止めで麻薬中毒になった人、鬱になってねむれなくなったひと、難病でなくても病の辛さはそこここにある。
だから疑問に思うことは声を上げたい。
尊敬する医療関係の皆様、どうぞよろしくお願いします。